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ユーゴ空爆で知識人が激論 NATOによるユーゴスラヴィア空爆に関して、ヨーロッパの知識人の間で、大きな論争が続いている。戦争に至るまでの複雑な経緯や、込み入った背景を反映してか、旧来の「左翼対右翼」「革新対保守」という単純な図式はもはや通用しない。さまざまな形での「転向」や、伝統的左翼と極右との奇妙な一致さえ生じている。 「転向」の最も極端な例は、オーストリア生まれでスロヴェニア人の母親を持つ小説家にして劇作家ペーター・ハントケだろう。ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン・天使の詩』の脚本を書いたことでも知られるハントケは、1991年にユーゴ内戦が勃発してから急速に「反動化」し、セルビア=ミロシェヴィッチ支持を公然と唱えはじめた。セルビア人の立場をナチス・ドイツに虐殺されたユダヤ人になぞらえるなどして、欧米のマス・メディアから批判を浴びているが、奇矯な言動は後を絶たない。最近セルビアから「騎士の爵位」を授かり、かつてのファンや仲間だった文学者たちを唖然とさせた。 ハントケのような例を除けば、ドイツ語圏の中道左派知識人は、おおむねNATOの軍事介入を支持している。「民族浄化」の名の下にアルバニア系コソヴォ人虐殺を続けるミロシェヴィッチは、20世紀ヨーロッパにおける最後の独裁者であり、打倒しなければならないというわけだ。作家ギュンター・グラスは「NATOの介入は遅すぎた」と述べるにとどまっているが、詩人にして批評家のハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーはもう一歩踏み込んでいる。「コソヴォで犠牲者となっているアルバニア人には土地勘があり、ミネソタやシェフィールドやマインツから来た兵士の誰よりも、不当な敵と戦う確固とした動機と決意がある。なぜわれわれは彼らに武器を与えないのか?」 一方で、左派に伝統的な反米意識を前面に出す知識人もいる。不条理劇で知られる英国の劇作家ハロルド・ピンターは「たしかにミロシェヴィッチは残虐で野蛮だが、クリントンだって同じ」「人道的というエクスキューズは、率直に言って悪い冗談」「NATOの作戦は判断を誤り、計算を誤り、最悪の結果をもたらすもの」と批判している。いかにも今日的なのは、この伝統的左派の意見が、ハントケのような「反動保守」や旧来の右翼と「反米」という一点で通じてしまうところにある。 たとえばフランスでは、社会党のジャン=ピエール・シュヴェヌマン内相と共産党、それに極右・国民戦線のジャン=マリー・ルペン党首が、「米国の覇権主義反対」「NATOによる軍事介入反対」の立場で、図らずも意見の一致を見てしまった。「ホロコーストはなかった」とするいわゆる修正主義者たちを批判するなど、人権活動家として知られる歴史家ピエール・ヴィダル=ナケも同様だ。 一方、68年5月革命の「英雄」で、現在は緑の党を率いるダニエル・コーン=バンディは、「スペイン市民戦争の際に共和国側につくことを拒否した人々、ヒトラーとスターリンが手を握った際にそれを黙認した人々」のようにはなりたくないといって、NATOの軍事介入を支持している。皮肉なことにこれは、右派の大物政治家で先ごろRPR(共和国連合)党首を辞任したフィリップ・セガンの主張と結果的に同じものとなっている。 ドイツ同様、フランスでも中道左派の多くはNATO支持派だ。アラン・フィンケルクロー(支持派)とレジス・ドゥブレイ(反対派)というふたりの哲学者のあいだで激論が交わされているが、4月1日にドゥブレイがル・モンド紙に寄稿した一文は、多くの論者から「典型的な自動的反米主義者」という酷評を買った。特に問題となったのは、ドゥブレイがネイティブ・アメリカンに対する米国の仕打ちを「民族浄化」と表現した点だ。 メディアに登場することの多い哲学者ベルナール=アンリ・レヴィは「NATOの介入は8年ほど遅すぎた」と延べ、「ミッテランのような『戦争に戦争を加えてはならない』とする立場ではなく、1930年代にアンチ・ファシストがそうしたように『戦争には戦争をもって戦う』という立場を取るべきだ」と主張している。前述のコーン=バンディと同じ論法だが、これが伝統的左派知識人の最大公約数的意見といえる。 しかし注目すべきは、ある意味で素朴なNATO(および米国)批判を除けば、「ヨーロッパとはなにか」という視点が多くの論者に共通して見られる点だろう。反対派のひとりで、シュヴェヌマン内相にも近い作家マックス・ギャロは「1945年以降はじめての主権国家に対する攻撃の目的は明らかだ。それは米国がヨーロッパ諸国――そしてフランス――から自主独立的な政治ポリシーを奪うことにある」という。 哲学者ジャン・ボードリヤールも同じ認識を持っている。「合衆国は第三次世界大戦=冷戦の果てに共産主義を倒した。急速に脅威的な存在となりつつあったもうひとつの超大国、すなわち日本も、アジア経済の中心地の計算ずくの不安定化によって骨抜きにされた。それ以来、ヨーロッパが次の標的なのだ」 NATO支持派にしても、「ヨーロッパ」の重要性を訴えるという点では変わりがない。スロヴェニア生まれの哲学者スラヴォイ・ジジェクは「新世界秩序と人種差別的なネオナショナリズムは表裏一体」といって、とりあえずはセルビアを倒し、その後で(「ヨーロッパ」ではなく)「トランスナショナル」な政治運動を構築すべきだと主張しているが、上述したレヴィは「これはアメリカン・ポリティックではなく、ユーロ=アメリカン・ポリティックである。イニシアティブは二重なのだ」と強調している。 いずれにせよナショナリズムとネーション=ステーツは、いまだ欧州大陸に(そして世界中に)存在している。ユーロという統一通貨を持ったヨーロッパが次のステージに向かうためには、このふたつが政治的にも文化的にも大きな障壁となるに違いない。戦争による死傷者と難民の増大という悲劇を解決しなければならないのはもちろんだが、戦争の背景にある歴史的・知的構造にも目を向け続ける必要があるだろう。 参考:ル・モンド紙のアーカイブ リベラシオン紙の論争ページ (初出『Techno France』99/5/10=http://www.technofrance.org/) |